日曜日

大好きだった本がろくに読めなくなってしまった。僕は物語のある本しか読まない。それはいつも僕の知らない(だけど知っていたという)遠い場所に連れて行ってもらうためだった。

 

今ではくだらない現実の中で時間は馬鹿みたいにあっという間に後ろに流れていく。集中力がまるでない。何かをしていたら別の何かが気になる。それも長くは続かなくて、そうして、2ページくらいで読みかけの文庫本が部屋のあちこちで積まれている。

それはいつまても羽を休めて飛べない鳥のようにみえる。

 

一人で過ごす休みの日は貧乏性が日暮れまで続く。天気がいいと外に出て遊びなさいというもういない母が頭の中で囁いている気がする。

いいえ、母は健在ですよ。かの日の母はもういないのです。

仕事をしている時のモチベーションは休みの日の為にとか休みの日まであと何日みたいにして頑張るのが良くないんだな。別に何も予定はないし何もできやしないので、それはまるていない人の為に誕生会を企画するみたいなものだ。

 

僕は早いとこ老成したい。この不埒な気持ち、煩悩の数々を手放せないまでも付き合い方を考えるくらいの冷静さがほしい。

 

この夏。つまりコロナ禍の夏。前付き合っていた娘から連絡があった。大学がリモート授業になって退屈なんだと言っていた。僕は大変喜んだ。その関係を終わらせたのは僕だけれど後からずっと後悔していて、女々しいばかりだがよく娘の事を考えていたからだ。

けれどそれも結局は娘の気紛れから始まったので、終わりも同じような結果になったし、この夏を越えて続く事はなかった。

一番私を傷つけたのは自分が娘に対して人間的に嫌悪を示してもそれでも求めてしまうという自らの根深い愛への飢えを発見してしまった事だった。私はもう誰でもよかったのだ。私は劣等感からくるそれではなく、単純に孤独に頭まで浸かってしまったこの病理をかかえた心を慰めてくれる天使をもうずっと探していた。

娘と離れて以前より何もできなくなった。感情の昂りと落ち込みが分かりやすく現れて、また綯交ぜでやってきて不意に泣きそうになって胸が詰まる。

 

風。風が好きだ。何処吹く風。蝶。不安定に飛ぶ蝶。羽ばたくに音はない。

異国の荒野に吹く風や太陽に灼かれながら飛ぶ蝶の姿をよく想像する。

 

私の自然体やリラックスを誰もしらない。誰かの視線に私の身体は凍りついてしまうからだ。見るという純粋行為の中には必ずサディズムが潜んでいると言ったのは誰だったか。私は怖い。人間がこわい。仕返しや報復を考えると口論や喧嘩に手を出す以上相手を必ず絶命させなければならない。私は本気でそう考える。

 

私は世界を単純化して見るなら支配と隷属だと考える。もっと子供っぽく言うなら勝つか負けるか、そして何も選ばないかだ。

何も選ばないというのは選択を誰かに委ねてしまっているという事でもある。実はこれがほとんどで、要するに選び取らないと前には進めないし、同時に何かを捨てなくてはならなかったりする。

 

 

横尾さんはUFOを呼べる。

横尾さんはUFOを呼べる。

 

何かを欲しい気がする、何かをしたい気がする、行動に移らないのは私の方が抜け殻だからか。