9月に入って

随分、間が空いたがお久しぶりだね。

これからはもう少し懇意にするからご容赦願いたい。

ミッドナイトゴスペルを観始めた事がまた日記を書こうと決めた直接の理由だ。エクスネケディのインスタの日記のようなものもそこに含まれる。

 

健康とはあるがままの現実を受け入れている状態、エレベーターの喩え、マインドフルネス瞑想。

 

今の自分が陥っている要と突破口を一度にこのアニメは伝えてくれた。実はTM瞑想に関してはここ何年かずっとやり始めては続かず失敗してきた歴史があった。また瞑想に取り組もうと思う。

 

ここでイングマールベルイマンの自伝から抜粋

 

「イングマールベルイマン、あなたの唯一の哀れなところは、健康なものに寄せる情熱ね。そんな情熱は捨てるべきよ。そんなものは嘘っぱちで、怪しげで、あなたは自分のまわりに壁をつくり、決して乗り越えようとしない。あなたはトーマスマンのドクトルファウストのように梅毒持ちのあばずれ女のところに行くべきだわ。」

 多分彼女の言うことにも一理あるが、実のところは、ポップアートと麻薬にいかれた下らないおしゃべりにすぎない。この美しい天才的な女優は記憶といっしょに歯も失い、五十歳にしてある精神病で死んだ。すべて思いのままに生きた結果がこれだった。

自己を表現する方法を知らない芸術家というものは、危険な人間である。

 

以上。

日々の礎がない人間には消費に耐えうる表現は生み出せない。要するに脆弱で浅い。心を打たない。代わりのいくらでもある。

 

僕には思想も哲学も習慣も経験も挫折も狂気も殆どないに等しいのかもしれない。今の私は水ではない何か薄い色のついたぶよぶよとした液体でできた脳みそだ。日々の快楽の誘惑に溺れる。快楽物質の放出ではち切れて、また頓馬に身体を寄せ集めて脳を形取る。そこに音はない。思考の音がない。これは最早それ自体で完結しようとする現象体に過ぎない。僕である必要はない。

 

深いところに降りていきたい。

集中力と時間を自分の側につけること。

投げやりや浅い諦観は子供の所業。