キラキラネームに思うこと。

先ず、この件で否定的な意見に一番多いのが子供がこの先、学校でいじめられるきっかけになるような名前を付けてしまう、そんな想像力もない親は云々。

僕なんかは平成4年生まれで多分に漏れず、当時人気だった名前の読みだけもらって候補を幾つか選定し、画数が良いものを神社で決めてもらった口なんですが、その事実について知ったのは多感な時期を随分過ぎた頃だったと記憶しています。なので、義務教育の頃は自分の名前について考えるなんて事は一度もなかったです。逆に言えば、それだけ凡庸で無難なスッと飲み込める名前だったのかもしれないですね。

で、まず、このキラキラネームというのはそういった今の流行りの名前ベスト10みたいなものとは一線を画す歪な物だという認識が今、学生をやってる子供たちにあるのか、どうかってのが些か謎です。何故なら、この問題を取り沙汰しているのは当事者の子供達ではなく、あくまで外野の大人であり、それは常識や教養という言葉を振りかざしてマウントを取ろうとしてくるタイプの空虚な大人たちだと僕には見えているからです。

 

実際、義務教育の塀の中において名前だけでいじめの対象になるかと言うと、なる場合もあるにはあるでしょう。しかし、何より最初は名前は同時に他の初対面同士達とのコミュニケーションのきっかけの一つになるはずです。何もいきなりキラキラネーム狩りという徒党を組んだ連中がいじめに来るわけじゃない。皆んな新生活、集団行動に慣れてない不安から、いきなり誰かをいじめようなどというマインドではありません。つまり、いじめがあるとしたらその後だと思います。

また、いじめやハブられるきっかけは何も名前だけではなく、その日の生理気分や無意識で放った言葉や実に様々であり、殆どそれは理不尽だったりもします。なので予防や予測が効くものではないのです。

また正直言ってGWまでには子供たちにとって堅苦しい名前はすぐ様あだ名というクラス内、仲間内での彼ら語、スラングみたいなものに変換されるので、この時点で数人の仲間が出来ていない人は名前云々の前に集団行動が苦手な奥手の人という印象になるので、いじめは生まれるかもしれないが、この際名前は関係ない。あるとしたらいじめの程度に盛りが付くか付かないかみたいなとこだろう。

要するに名前ではその人間の価値は決まらないです。多感な時期においては、たしかに見た目や所作、発言だけを取り沙汰して良くない方向に発展しがちですが、そいつらのターゲットにされるかどうかは、もう運です。名前のせいではない。

 

僕なんかはフリーターなんで新しいバイト先に行くと新人なんで一度に色んな人と挨拶をして名前を紹介し合う機会がありますけど、大体、名前は頭に入らないです。平凡な名前だからとかではないです。まず、その人の居様、物腰、容姿で特徴を自分の頭でイメージ付けして覚えてしまいます。名前を浸透させる作業は日々のその人との生の関わりの中で同時に浸透していくものなので、名前なんてのはその人の呼称で、業務上ないと困るから覚えておくくらいのものです。

フリーターの新人と小学生の新入生では比較にならないと言う人、なりますよ。

コミュニティにおいて人と関わるという場合、ある程度の向上心と誠意をもって対峙しようとします。子供たちもそうです。皆んなと仲良くなりたいとか、楽しくやっていきたい、って誰しもが思っているはずです。そうした気持ちで人と向き合う時に名前が変わっている事だけで関わるのをやめようとか、態度が一変するような人がいるなら、そいつは良くない人間です。あなたの方から切っていいです。

 

名前が変わっているというのは人の良し悪しを見抜くリトマス紙的な使い方も出来るので却って良いのではないだろうか。

名前を聞いて態度を変えたり、いつまでも茶化したり親を罵倒するような奴は切る。

それでいい。

実際、親が馬鹿かどうかはここでは何も言えないし、そもそも他所の親について他人が何故話す必要がある?