10月11日

つい先日、職場復帰した事は話したとは思う。それで、骨折当初は労災で給料保証してもらいながら暫くは休めるからたくさん絵を描こうとか悠長に構えていたのだけど、あれからもうすぐ約2ヶ月が経ちそうで、そして、未だに労災決定通知は来ていない。

基本的に労災の決定には事故事由が骨折、外傷など簡単な場合は早くてひと月、遅くても2ヶ月で通知が来ると色々ネットで調べた結果、知ったので、最近は毎日1度は階下の集合郵便受けまで確認しにいっているがスカされ続けている。しかし、そろそろの筈。

 

段々と来るか、来るかの肩透かしを続けていると精神もか細くなる。そして、毎月の支払いの目処も、そもそもの金に対する執着も段々なくなってくる。真面目に暮らしてどうにもならないのだからふんぞり変えればよろしいという気になる。

僕は昔から絶望やどん底の淵に立たされると無性に感動したり、得意になる節がある。これは死ぬる時に脳内でドーパミンが大量に放出されるのに似ている。

生きる喜びや生きているという実感はプラスとマイナスどちらの局地にもあるという事だと思う。だから、一番心が死ぬのは、そのどちらにも振り切れない時だったりする。

僕のこの不屈の自己肯定感と卑屈さは母の溺愛から来ている。

母性愛の本分は誰かに向けるや共有するではなく、自ら産み落とした子に一方的に与え育むことにのみあるんじゃないかと思う。