クソケチャップ野郎

さっき配達をしていてマクドナルドを注文された方がチャットを送ってきてケチャップ2つでお願いしますと来たわけ。

 

まあ平日の昼過ぎにマクドナルドを出前する奴なんだからしょうがないと。uber配達員のガイドラインの禁止事項に抵触するから出来ない旨を伝えたら、今まで来てくれた人は対応してくれたとメッセージが来た所で目的地のマンションに着いたし対面手渡しなので直接話しをする事にする。

出てきた奴がやおら寝起きのスエットの眼鏡で、まずは商品を渡したら黙って受け取る。そんでそのままドアを閉めそうなくらい消極的な印象を受けたんだけど、その態度にも腹が立って、こちらから口火をきる。かくかくしかじかでそういったサービスは出来ないと改めて言えば、また、今まで頼んだら皆さん持ってきてくれました、と食いさがる。それはそれらの方々が間違っています。ルール違反ですよ。と言えば、もういいです。ありがとうございました。と扉を閉められる。

 

全く腹立たしい。僕が一番気に食わなかったのは自分の中で腑に落ちていないのに、話し合う事もせずに浅い所で勝手になんらかの決めつけをしてその場から逃げたこと。それ程じゃないなら二度とつまらん事言い出すなよ、お前、不快だから。

ルール違反をするならそれなりに自分の考えあれよ。ダサい。

 

結局、ケチャップ野郎が振りかざした論調は終始、狭い世界の間違った多数決の結果だった。

 

あと馬鹿正直にルールを守ってる連中がこういう奴らにかかればbad評価を喰らう。どう考えてもおかしい。

 

 

 

 

 

対談

い:ひつじさんは92年生まれという事ですけど、所謂、z世代について何か思うところはありますか?

 

ひつじ:自分の世代観みたいなものは何となくあるんですけど、自分が経験してきた感じ続けてきた気分みたいなものを言っている同世代の人は見かけないですね。

 

い:それは具体的に言うとどのような気分なんでしょうか?

 

ひつじ:うーん、一口には言い切れないので詳しい話はこのインタビューの中で僕も話しながら紐解いていきたいという所はありますが。まあ、ざっくり言ってみると、この世界に生まれ落ちたら既に黄泉の国とか異世界って感じでしたよね。だから、ずーっとぼんやりしてるって感じ。

 

い:幼少期の記憶とか覚えてらっしゃいますか?

 

ひつじ:うーん、殆ど覚えてないです。後から写真を引っ張り出してきて母とこの時こうだったねとかで何となくそうだったようなって気がするっていうくらいで、完全に自分だけの記憶の中にあるものとなればもう少し先の話になります。

 

い:ではもう少し先へ進んで物心ついた辺りの、小学生の頃はどんな子供だったんですか?

 

ひつじ:おかっぱ頭の元気な子供でしたよ。僕、申年なんですけど、ほんときいきい煩い小猿って感じ。

 

い:女子にちょっかいとか出せるタイプの感じですか?

 

ひつじ:うん、割とクラスでもひょうきん者って感じで。だから、スポーツ万能とかイケメンの次のクラスの面白いいじられキャラみたいなポジションだよね。

 

い:今の様子からはちょっと想像つかないです。

 

ひつじ:まあ色々あるもんね。

 

い:ひつじさんはモテましたか?

 

ひつじ:うーん、どうなんだろう。初めてバレンタインチョコを貰ったのが小学生4年生で、初恋の子には何も言わず終いだったし、告白された事はなかったけど、小学6年の時に友達だった女の子と携帯でメールのやりとりをしていて、何となく好きになったのかな、それでお互い要を言い出さないながらも小出しに思いを伝えあって、付き合うごっこみたいな事をした事はあったな。

 

い:ひつじさん、小学生で携帯持ってたんですか?

 

ひつじ:多分、父親が持っていて勝手に借りて彼女のメールアドレスを紙に控えてて、それを打ち込んでやり取りしていたと思う。向こうも同じだったと思う。僕、中学の途中から携帯を手に入れるんだけど、小学生のその当時はちょうど、まだ親がハイテク機器を独占していて子供たちには降りてこなかった。

 

い:なるほどね。でも小学6年生で付き合うごっこって、言っちゃなんですが随分、健全な学区だったんですね。

 

ひつじ:うん、うちの小学校は歴史のある学校で来る子も中流家庭以上って感じがすごいあったなあ。やっぱり乱れてはなかったから、性の知識もどこからも誰からも仕入れられなかったわ。ずっとただただ穏やかで幸せな日々を送ってた。

 

い:結局、モテたのか分からないですね。

 

ひつじ:モテてないね、目立って。エピソードが貧弱だもの。

 

い:小学生の頃の友達とか放課後の遊びや家で見ていたテレビ番組とか教えてください。

 

ひ:友達は今思うと貧乏な子と仲良くなりがちだったなあ。石田くんてのがいて、彼の家の柱はアリの巣になっていて小さい蟻が我が物顔で出入りしていた。彼のお母さんは未亡人で会うといつも草臥れた和服を着ていて少しクレイジーだった。後年、彼女が身売りをしていたと知る出来事があったが割愛。

また、彼女は底抜けに明るくて家に遊びに行くと必ず僕はキスされた。石田くんは横目に呆れていた。そして、家の中はなんとも言えない貧乏くさい臭いがすっとしていた。

 

石田くんには幼馴染の女の子がいて、それも僕らと同じ学校で別のクラスの子だったから僕は面識がなかった。でも、ある日石田くんの家で石田くんと部屋で遊んでいたら、例の女の子が現れて、僕のことは気にかけず二人は絡まり始めた。というか、一方的だった、石田くんは僕の手前、恥ずかしいのか抵抗していた。女の子は肝心な事は何もしらないらしく、ただ戯れていただけだった。しかし、僕は絡新婦だと初めから見抜いていた。男を惑わすタイプの女というのが直感で分かった。怖かった。僕も混ざるか?と聞かれたから逃げた。

 

い:それはいつくらいの話ですか?

 

 

ひつじ:小学校低学年かな。

 

い:なんだ。あるじゃないですか、性の話。

 

ひつじ:やけに嬉しそうだね。

 

い:いや、性の話といいますか、初心にいきなり理不尽にぶつけられた性の何某かによって趣向や価値観が決まってしまう出来事を聞くのが好きなんですよ。

 

ひつじ:それならもう一つある。

 

い:なんですか?

 

ひつじ:同じくらい幼い時に、これまたすごく貧乏な荒屋というかプレハブのような家に姉と弟二人だけで生きてる姉弟がいて、彼らとどうやって仲良くなったのかは定かではないけど、多分、うちの姉と向こうの姉が同じクラスだったのかな、それでうちの姉に連れられてコミさん(姉)の粗末な暗い家でよくビデオを見ていた。エコエコアザラクって日本のホラー映画知ってます?黒魔術とか性犯罪とか復讐とかをテーマにしていて、とにかくあれはあの時期に観てはいけない過激な映画だったと思う。

 

い:原作は確か漫画でしたね。なるほど、気になりますね、その映画。覚えてるシーンとかありますか?

 

ひつじ:なんだろう全裸の女性が台の上に寝かされて身体に何かよくわからないもので何かを書かれているシーンとか。

 

い:ああ、かなりですね。

 

 

 

 

 

 

 

バイト

最近、バイトに行くのが鬱陶しい。やはり、カレンダー通りのシフトはしんどい。

 

工場で働くわけだから目元しか見えない制服を着てマスクもするわけで、ぱっと見じゃ誰だか分からないのは気に入っていたけど、やはり、こう、日にちが経つにつれ馴染みだす感じ、少し親しくなったような会話、一緒に働いているという連帯感みたいなものを感じてきつい。ご丁寧に始業終業のチャイムまで鳴る。うちらは学生か、クソ。

働き出してバイト先の工場までの電車通勤と駅を降りてからの徒歩の道すがらが中々ストレスなので、翌週から自前のバイクで駅前の駐輪場まで行ってる(工場は以前、働いていたガキがバイク事故してからバイク通勤を禁じている為、敷地内に駐輪場はあってもバイクは置けないとのこと)。僕は少しでも自分と同じようにくだらないバイトに向かっている所を見せたくないし見られたくない。だから、パッパと働いてチャッチャと帰りたいのだ。

お昼休憩は45分ある。休憩室で皆飯を食う。僕も食べるが毎回パンが2個なので5分〜10分で片がつく。基本的に外に食べに行くはできないので、僕は一人になりたく外に出る。といっても敷地内。出てすぐの壁に寄りかかってボーっとする。秋は出来るだけ外にいたい。

僕が立ちぼうけしてる場所は何人か人が必ず通る。社員とか、、たぶん全部社員だ。なので、その度に頭を下げたり、お疲れ様ですとか言う。今日もあんまり長い事いると、また社員が通るかもと思って早々に切り上げてあまり人が来ないトイレの個室に入って頭上の白熱灯や個室内側の錠前をただ立って眺めゆっくりしていた。

もしかしたら、人はこんな話を聞いたら、結構精神的に追い詰められてますね、なんて言うかもしれないけど、僕は集団の中にいる事を強いられると昔からこうだ。多分、中学生くらいの時から。

 

午後からの仕事は4時間続けの単純作業。工程が早く終わってしまった。そこから他の仕事をもらいにあちこちでちまちまやって、最後に任された仕事が割としんどくて少し気分が悪くなった。この気分の悪さは肉体労働や運動部をしていた頃にもあった。しっかり働いた後の気持ちのいい徒労感(と人は言う)が怠け者で労働クソ喰らえの自分には生理的に受け付けないもので気持ち悪くて仕方ない。何がお疲れ様だ、何が明日からも頑張ろうだ。2度と来てやるか、と思いながら明日も行くんだ。

 

 

 

 

 

 

10月11日

つい先日、職場復帰した事は話したとは思う。それで、骨折当初は労災で給料保証してもらいながら暫くは休めるからたくさん絵を描こうとか悠長に構えていたのだけど、あれからもうすぐ約2ヶ月が経ちそうで、そして、未だに労災決定通知は来ていない。

基本的に労災の決定には事故事由が骨折、外傷など簡単な場合は早くてひと月、遅くても2ヶ月で通知が来ると色々ネットで調べた結果、知ったので、最近は毎日1度は階下の集合郵便受けまで確認しにいっているがスカされ続けている。しかし、そろそろの筈。

 

段々と来るか、来るかの肩透かしを続けていると精神もか細くなる。そして、毎月の支払いの目処も、そもそもの金に対する執着も段々なくなってくる。真面目に暮らしてどうにもならないのだからふんぞり変えればよろしいという気になる。

僕は昔から絶望やどん底の淵に立たされると無性に感動したり、得意になる節がある。これは死ぬる時に脳内でドーパミンが大量に放出されるのに似ている。

生きる喜びや生きているという実感はプラスとマイナスどちらの局地にもあるという事だと思う。だから、一番心が死ぬのは、そのどちらにも振り切れない時だったりする。

僕のこの不屈の自己肯定感と卑屈さは母の溺愛から来ている。

母性愛の本分は誰かに向けるや共有するではなく、自ら産み落とした子に一方的に与え育むことにのみあるんじゃないかと思う。

 

夢日記

どこかの街の深夜の夜景。
当然、眼下に夜景なのだが、見上げる空がある位置には何もない。ただ、都市の呼吸としての数多の光の明滅しか確認できない。だから、一般的な深夜の夜景とは言えない。聖書の最初の日のようなカオスに何故か、都市だけが存在しているような様相。

上部が圧倒的に濃い黒、暗黒で地平線の彼方がややグレイに見え、それは都市の光が作った霧のようにも見える。結果として都市群と暗黒荒野のように僕には見えている。

 

そして僕は中空にいて夜景を俯瞰し、この世について一人考えている。

 

僕はもしかしたら何かの微生物か?コンピュータウィルス?ダニ?

 

もしかしたらそうかもしれない。自分で自分の姿を見るのもかなわないこの暗さの中で、暗黒の温もりだけは分かる。風でも吹いてくれればと思うが、活動を認識できるのは遠くの都市の他にない。

 

この世には確かに平行宇宙が幾つもあることを、

彼はこんな理不尽な目に遭いながらもただ、何かに生かされていると強く感じている。暗黒は全ての意味性の母体で、この温もりはかつてより知っていた気がした。もし、これが完全な暗黒ならば、きっと何かがここから生まれるのだろうと前向きにもなれたが、眼下の都市のせいで僕は不安を感じていた。何も起こらず変わらずこのままな気がしていた。だとしたら、僕は悲しいかな神にもなってしまうと思った。

 

 

10月4日

チョコレート工場でまた働く事になった。

今日は型流しというチョコレートの機械の先頭に立ってチョコレートショットが入る型をひたすら等間隔に流すだけという精神的にくる作業。足が棒になるし首もこる。そして、朝から日暮れまで、間に昼休憩があるにしろ同じ作業と向き合っているとだんだんおかしくなってくる。

急にショット一発毎に収縮するようなギュイン、ボフンという音がそれまでは気にも止めなかったのにやけにくっきりと身に迫って聞こえてきたり、頭の中で突然童謡「グリングリン」が流れ始めた。少しすると映像も出てくる。それは誰もいないカラオケボックスの真っ暗な部屋から流れており、座席のスペースには所狭しとディズニーのぬいぐるみが置かれている。そんな映像だった。

 

踵がいたい。

 

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10月1日

昨日はベッドで眠る事を諦めて巨大な作業机の下にヨガマット、の上にバスタオル4枚を敷いて眠った。身体が痛くて夜中に目を覚さないか心配だったが一度も睡眠は途切れる事なくめざめた。起きてみてからも身体の強ばりや痛みはなく、窮屈な格好で寝た割には快眠だったと思ったくらいだった。考えてみればいつもベッドの上でも体を小さく丸めて眠る私だ、むしろ低い屋根が頭上にあったおかげでリラックスして眠れたのではないかと思える。自分は昔から猫が好きそうな狭くて暗い静かな場所が好きなので性に合っていたのだろう。

それでも連日これでも身体に支障が出るのは目に見えているので、起きて身支度をして近所の薬局にダニアースを買いに行く。

原因はわかっていた。物置を整理した時、余りに物が多くて、そうだ座椅子くらいはフラットにすればベッドの下に直せるなあと思ってしまって、それを行動に移してしまった。考えてみれば押し入れに直ぐにこの後直さなければならない何かが控えている訳でもなし、座椅子一つ分のスペースを空けてみて何だと言うんだろう。咄嗟の思いつきをした時ほど危険だとつくづく思う。こんな時ほどまず検討をするべきだった。

買ってきたスプレーは大方使ってしまった。これで駄目なら2つの意味でお手上げだ。1つ、眠る場所がなくなる。2つ、大型ゴミになるのだろうが一人で運び出せる気がしない。次いで布団を買う金もしばらくはない。

東京にいた頃もダニに悩まされた事があった。新たなシェアハウスに住み始めて数日の事だった。そこは木造戸建ての古い家をリノベーションしてシェアハウスにしたような所で、僕は2階の和室を借りていたのだけれど、西と南に大きな窓が2つあってカーテンは初めから付いていた。そのカーテンがいけなかった。随分、草臥れていて汚らしいから新しいものに変えようと思ってレールのコマからカーテンフックを一つずつ外して、という作業を2回繰り返して抱き抱えてまとめてポリ袋にいれた。それから夜勤のバイトに行くのに夕方まで眠った。

目を覚まして、すぐには気が付かない。だが手は無意識に身体を執拗に掻いている。手に当たる虫さされとは違う肌の歪。何だか股の辺りがボコボコしている。撫でると股一帯が痒すぎて麻痺を起こして身体中に鳥肌が巡る。洗面所の鏡を見て自分の身体の侵され方をみて驚いた。腹から左右の内股にかけて赤い点々だらけだった。それでも病気ではないから仕事には行った。歩く度に股とズボンが擦れて痒さで頭がおかしくなりそうになりながら現場まで行って仕事もこなした。仕事の前に薬局で塗り薬を買って塗ったがまるで効果はなかった

それが原因で僕は自棄をおこしてシェアハウスを飛び出した。精神的にまいっていた時期だったのでこれも致し方なし。それから荻窪駅前の漫画喫茶で生活をしてしばらく生きていたりした。

 

色んな経験をしてきたから何にも余り驚かなくなったし、どうとでもなるだろうと知っているから若い彼のように自棄は起こさなくなったけど、眠る場所さえ即席で満足のいかないまま知らない土地で眠るというのはよく蒸発していた頃を思い出して、またやりたいなあと思ってしまった。