雑記

よく考えたら曜日感覚は勤め人だけが把握しておけばいいもので、僕のようなのっぺらぼうの日々をしてる人には必要のない概念だった。

 

29年前、僕はもう産まれていた。

何かを起こそうとか何としてでもやり遂げようとか、そんな気はないただの赤子だった。

自分と世界の間には距離がみえなかった。

相対という概念すらない、ただ全てが溶け合うカオスの中で生理感覚のみで世界からのリアクションに対した。自我までは全てが比喩で象徴でイニシエーションだった。

 

さっき、コインランドリーに行ったら、3つある内の1つだけが丁度終わった所で中の洗濯物はそのまま使用者がまだ取りに来ていないという状態だったので、中身を取り出して籠に入れて僕が改めて使った。その時は前任者と鉢合わせるのだけは嫌だからスピーディーに行動してさっさと自分のを回して出て行く事しか頭になかったが、家に帰ってきて少し思った。もしかしたら、こんなご時世だし洗濯物を他人に取り出されるというのは嫌なんじゃないだろうか、と。だったら、そういう可能性は台風の影響もあって利用者は多いかもしれないと踏んで、何だったら少し早めに様子を見に来て終わったのをしっかり見届けてれば誰かに出される心配もなかったろう。

 

僕は間違ってないけれど、こうなってくるとコインランドリーの時間表示のendだ。あれは終わってからどれくらい経っているかは表示されない。もし、僕が間髪入れずに終わった所でタイミングよく現れて洗濯物を出していたのなら、また入れ違いですぐ前任者が取りに行っていて向こうにもそんなに、、、、嫌々、やはり少しでもコロナ禍でその辺り神経質な人間なら洗濯物などという日々の雑事をかまけてこういうリスクもある事も承知でやってきているのならば、この人の自己でできる感染対策にはわきが甘い。嫌、どうしてもやむに止まれぬ事情があって自宅で洗濯ができない、若しくは、近日の台風の影響で、また仕事が多忙で折り合い悪く、たまたま今日この時間で、しかもこの後の予定で必要なものの洗濯乾燥がこれに含まれているのかもしれなかった場合などを考慮すると、、、、それでも僕と条件はほぼ同じだ。僕は今右手小指を骨折しており、また普段は手洗いで洗濯をしているんだから当然自力の人力の手洗い洗濯は難しい。コインランドリーを使う理由としてはかなり優等生だ。ならば、やはりどうだろう。人に洗濯物を触られたくないと思うなら時間通りに来るべきだった、という事になるのだろう。それくらいの想像力が及ばないくらいにはお前はこのコインランドリーの常連だ。